『神様の思し召し』 感想
イタリア産ハートフルコメディ映画。でも根底にあるのはキリスト教なのかも。と言ってもコメディタッチに描かれていますし、重苦しくもないので見やすいかなと思いました。
この物語はトンマーゾとその家族の物語です。天才だが傲慢な外科医のトンマーゾが拗れた家族関係を目の当たりにして変化していく様が、軽快な音楽とともにコメディタッチに描かれていました。
コメディとシリアスのバランス、そしてストーリー展開の速度が心地よく、物語の中にすっと入り込めた作品です。そして、なんだか考えさせる映画でした。軽快でコミカルなシーンも多く、気疲れもしないのですが、考察したくなる映画。
まず、コミカルで思わずクスリと笑ってしまったシーンは娘のビアンカとその旦那さん(名前を忘れてしまった(;´・ω・))のシーンのほとんど(笑)
例えば娘のビアンカが弟のアンドレアが神父になりたいというから試しに聖書でも読んでみるかと屋上でジュースやらソファやらをセットするんです。その時点でだいぶ面白いのですが、聖書を読み始めると延々と続くイエスの系図(笑) だんだん彼女の目が死んでいく様にクスリとしました。
そのビアンカの旦那さんは重度の知的障害を持つフリをするシーンがコメディパートとしては印象的でした。日本じゃああいったシーンは見ることは出来ないでしょうね……。私自身も見ていて笑っていいものかどうか戸惑ってしまいましたし。蔑視するような意図は感じられなかったので不快感はなかったのですが、こういったネタで笑いを誘うというのは初めてで驚きました。日本がそういうものに対してセンシティブなのか、たまたまこの映画が「冒険」しているのかは分かりませんが、文化の違いということなのでしょうか。
閑話休題。そして、ストーリーも素敵だったのですが街や食べ物が素敵! 食べ物もいちいち美味しそうですし、街の雰囲気も素敵です。この映画はイタリアの街の美しさを売りにしているわけでもないのに、バイクで駆け抜ける夜の街だったり病院の内装であったりがなんだかお洒落。イタリアには訪れたことがないのですが、旅行したくなってしまった(笑)
さて、この映画を見た後に一番感じたのは「神様の思し召しとは何だったのか?」ということでした。
映画を見た後に咀嚼しようと思って色々と考えようとしましたが、なかなかこれが難しい。
私はトンマーゾら家族がピエトロ神父と出会ったことが「神様の思し召し」だったのではないかと思いました。ちょっと宗教寄りの解釈かなとは思いますが(笑)
それに至ったのは、
・ピエトロとは誰か?
・神父が家族にもたらしたものは何か?
・トンマーゾはなぜ変化しえたのか?
・神とは何か?
これらを考えていったからなのですが、まず、ピエトロは普通の神父です。何か特別なことをしていない。神父として行動したにすぎないし、特別にトンマーゾら家族に介入をしたわけでもない。しかし、彼も根っからの神父であったのではない。これが前提です。
ピエトロについて深く語られることはありませんでしたが、彼が神父になるのに何か劇的なことがあったわけではないことは分かります。と、いっても所謂〈罪人〉が改心して神父になるのですから劇的といえば劇的ですが。取り敢えずそこはおいておいて、彼はただ〈神を感じた〉のでしょう。
そんなピエトロ神父は聖人ではありません。だからトンマーゾとも友人になりえたのかも。トンマーゾとピエトロはピエトロが神父であることを前提としつつ、そしてトンマーゾが信者ではないことを前提としつつ、〈ピエトロ〉と〈トンマーゾ〉として友人になっていたように見えました。
では 「神父が家族にもたらしたものは何」か。私は閉鎖的であった家族に新しい風をもたらしたのだと思います。
最初はアンドレア。彼は「神父」に感化され自身も神父を目指します。印象的だったのがアンドレアが医者になる未来に虚無を感じていたこと、そして改めて人生に目標が必要だと語っていたことです。家族の水面下での軋轢が見え隠れ。トンマーゾはアンドレアを愛し期待していますが息子にそれは伝わっていない、むしろ押しつぶしていたとうかがわせます。
しかしここでちょっと面白かったのが、トンマーゾは表面上は理解を見せることです。息子には寛大なところを見せたい父親。偏見ですが日本のドラマだったら頑固親父で絶対反対!と怒鳴りそうだと思った(笑)
次に妻のカルラ。彼女は間接的ではありますが、アンドレアの言葉によって抑えていた感情を爆発させてしまいます。長年抱えていたけど見ないふりをしていた不満のパワーは凄い。あの夫婦喧嘩もこの物語の軸だったと思いました。廊下ですれ違ったときに中指立てたり毒を吐いたりしたのは上品な見た目とのギャップで笑ってしまいましたが(笑)神父と出会ったアンドレアによってカルラは一番「自分を見つめ直してしまった」のかも。
そして娘のビアンカも少なからず変化させられたのでは。母親のカルラと父親のトンマーゾの夫婦喧嘩を目の当たりにして隠していたことを表に出します。
これらのことを通じてトンマーゾも変わらざるをえなくなったのじゃないでしょうか。否が応でも自分を見つめ直さなくてはならなくなったわけですし。あと多少立場の違うトンマーゾとの交流によってエリート思想というか、エベレストみたいに高いプライドもちょっとは捨てたのかなと感じました。
まあトンマーゾの変化については少し急な感じがして完全に咀嚼できたわけではないのですが……(^_^;)
普通にトンマーゾとは友人になれていたんだろうなと思います。
こう考えていくと、神様の思し召しだったのはピエトロとトンマーゾら家族の出会いだったのだろうと思いました。
もしもピエトロが可憐な少女だったら天使って思ってたかも(笑)
最後に。おそらくトンマーゾは神の存在を信じないままでしょう。私はそう思いました。ただ、もしかしたらちょっとだけ存在を「感じた」かもしれない。
最後のシーンで梨が落ちるのを見てトンマーゾは少しだけ笑いました。ここの解釈は色々あるでしょうが、梨が落ちるのをは神の業だと言った神父を思い出していたのは間違いありません。瀕死の、しかもおそらくは助からないであろう神父のことを思い出しているトンマーゾの前でタイミングよく落ちる梨に浮かべた笑いは「神だなんて馬鹿馬鹿しい」あるいは「なんて偶然なんだろうか」といった類のものに見えました。
長くなりましたが、テーマが宗教的に感じた割にサクッと見ることができ、なおかつ笑える部分もあり、大満足の映画でした。
またこんな映画に出会いたい……!
監督・脚本:エドアルド・ファルコーネ
出演:マルコ・ジャリーニ
アレッサンドロ・ガスマン
ラウラ・モランテ
イラリア・スパダ
エドアルド・ペーシェ
エンリコ・オティケル
配給 ギャガ
制作国 イタリア(2015)