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裏庭の鶏

映画と本と、時々舞台

『ある戦争』 感想

 倫理観が問われていると感じた作品でした。そして同時に戦争というテーマだけでない、普遍的な法哲学というテーマも絡んでいると感じます。観賞後にぐったりとしてしまうし疲れるけれども見てよかったと素直に思えました。

 以下、ネタバレ含む感想です。

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 主人公クラウスはとても人間的だと思いました。部下からも慕われているし現地住民を助けたいという人道的な心を持っている。けれど同時に人間が持ちうる非人道的な部分だってないわけではない。
 そして人間だから、いざという時は仲間の命を優先させる。でもこれって必ずしもクラウスを責められるんでしょうか。物語の冒頭で若い兵士が地雷で足を吹き飛ばされ殉死しました。まだ21歳の若者です。そして彼の死にショックを受け少なからず責任を感じている部下もいる。帰りたいのだと涙ながらに訴えていたその彼が今まさに命を落とそうとしているとなったらなんとしてでも助けてやりたいと思うことが罪でしょうか。それはあまりに酷です。私自身「この銃撃戦だ、きっと敵はいるのだろう、それよりもラッセを助けてあげてほしい」と手に汗握りながら思いました。彼の判断は軍人としてではなく人間として「普通」であるはずだと私は思いたい。

 しかし彼は罪のない民間人を11人が命を落とす直接の原因を作ってしまっている。娘が尋ねたように子供を殺してしまっている。そのことは明白な事実です。帰国直後に彼自身が言ったようにその罪を償うのが筋です。


 裁判において彼の罪を問うのならば白か黒か決めなくてはならないから敵を確認したか否かというのが争点になりました。彼は敵を確認していません。だってラッセを救うためにはそれどころではなかったから。
 確かにクラウスは住民の命を軽んじていたから空爆要請を出したのではない。部下の命を守ることが隊長の使命であるならば、そして一人の人間として、彼のしたことは「あの状況だったら仕方ないよね」と言えてしまえるかもしれない。その一方で裁判で言われていたように人道法に例外を作ってはならない、彼は法により裁かれなければならないというのも正しいはずです。だからこそ彼の場合における最高刑が終身刑ではなく懲役4年なのでしょうが……。
 ではあの混乱した戦闘の中で敵の確認ができないからラッセを見殺しにすることが本当に正しいことと言えるのか?それは果たして一般人が持ちうる良心が許すことなのでしょうか。これはもはや法哲学の領域かもしれません。
 ちなみに私個人の意見では無罪にするべきではないと感じます。仕方がないからといって民間人を死に追いやった責任はとらなくてはならないと思ってしまうので。


 また、裁判によって責任を問われていること以外にも彼は判断を誤っているのではないかと思いました。助けられたかもしれないのに、助けを求めた家族をみすみす死なせてしまったことです。クラウスにはあの家族が殺されてしまうことが分かっていたはずです。
 いや、もしかしたら軍人として判断を誤っていたとは言えないのかもしれません。だって助けを求める人間全てを助けることなど出来ないのだろうし、あの場で家族を助けるとなったら基地に彼らを保護するという現実的でない手段しかなかったのかもしれない。

 しかし私はあの家族の女の子の遺体の足を見て冒頭で亡くなった兵士の死体を思い出しました。そして空爆によって死んだ小さな女の子も兵士と同様に足が吹き飛ばされていた。


 無罪判決がくだされ、クラウスは自分の子どもを寝かしつける時、布団からはみ出た足を見ます。死体を思いだしたはずです。それは殉死した仲間のものか、見殺しにしてしまった女の子のものか、それとも自分が死の原因を作った女の子のものか。
 ただ皮肉なことにこの裁判は全てデンマークの中だけのものなんですよね。


 また、彼らは敵を撃ち殺した後はその死体の前で冗談を言って笑い合えることも確かなのです。仲間の殉死や助けを求めた家族の死を心から悲しめる一方で敵の命はあまりにも「軽い」。
 仲間の命、自分に少しでも関わりがあった助けられたかもしれない命、助けるべき命、自分を殺すかもしれない人間の命。命の選別が当然のように行われている。これは状況によっては許されることなのか、同情の余地さえあれば罪にはならないのか。

 鑑賞後の後味の悪さは問われていることが多すぎるからかもしれません。