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裏庭の鶏

映画と本と、時々舞台

『ミス・サイゴン:25周年記念公演 in ロンドン』 感想①

映画 観劇

 日本最速プレミア上映で、名前だけ知っていて今回初めて見た作品でした。評判通り素敵な楽曲ばかりです。作品にパワーがあると感じました。

 なかなか感想がまとまらずかなりの時間差になってしまいました。とても心乱され、今でも考えると少し乱される作品。なかなかこんな作品出会えないのである意味とても良い経験になりました。

 そして映像ですが、良い意味で舞台映像らしくないまさに映画のような映像でとても見やすく臨場感の溢れる映像です。舞台映像ってどうしても生じゃないので作品の「枠」が見えてしまい世界観に浸れず苦手なので覚悟して行ったのですが杞憂に終わりました。特にヘリのシーンは圧巻! 

 普段の映画と違う点といえば歌の後に拍手が入ること。もちろんロンドン公演時の観客の拍手です。個人的には作品の世界に入り込んでいたいのでちょっと現実に引き戻されてしまったのですが「舞台らしい」といえば舞台らしいのかも。
 あとはインターミッションが入ったのも最近の映画だと珍しいのかな、と思いました。私がインターミッションの入る映画を見ていないだけかもしれませんが(笑)


 さて、以下ストーリーに関しての感想ですが、新作でもないのでネタバレなんてあってないようなものかなと思いつつも演出等にも触れますのでご注意ください。
 またこの作品に対してマイナスな意見もありますのでその点ご了承ください。

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 まず、この作品を見て最初に思ったのは「蝶々夫人だ……」ということ。ストーリーはほぼ蝶々夫人のあらすじと同じ。だから見ていてだいたい展開は分かってしまうのでキムが愛を歌うたびに苦しくなってしまいました。「あ~~でもこれ蝶々夫人ならキム死んじゃうよなあ」と思いながら見るのは結構しんどいですね。

 また、サイゴン陥落のヘリのシーン。ヘリを見上げて嘆くベトナム人達に胸が締め付けられました。舞台の方を見ていないんですが、あのヘリどうなってるんです……? 迫力のある映像で鳥肌がたったのですがあれ、舞台でどんな演出になってるんでしょうか。凄い。それはジジたちの歌のシーンも同様です。辛い苦しい悔しいといった感情にこちらまで苦しくなりました。


 しかしミス・サイゴンベトナム戦争を背景においています。登場人物が背負うものも蝶々夫人のそれとは種類が違うと感じました。というかそう意識して観劇してしまいました。
 私は純粋な気持ちでこの作品に拍手することが出来ません。それは「蝶々夫人」をもとに描かれた「ベトナム戦争」をエンタメとして楽しむことができなかったから。

 どの俳優さんも素晴らしいパフォーマンスでこの作品を作り上げていると思います。歌も素晴らしく、例えばジジが歌うナンバーには心が締め付けられますしライブ音源があるなら買いたいぐらい惹き込まれます。

 けれど私にとってこの作品は前提としてベトナム戦争を描いたものという意識があるせいで歌だけに惜しみない拍手をおくることができない。実際のベトナム戦争の映像が使われているから余計にその意識は強くなっていました。
 だから「蝶々夫人」という、フィクションの、そしてあらすじを読む限りでは限りなくステレオタイプなアジア人女性の物語をもとにした登場人物にどうにもリアルさとのギャップを感じてしまうのです。

 少し長くなりそうなのでこの記事では登場人物についての考察のような感想のみ。
 ただ、私はこの作品をこの上映会でしか観賞していませんのであくまでロンドン公演でうけた登場人物の印象です。その点ご了承ください。

 
Ⅰ キムというフィクション

●キムはいつ「死んだ」のか
 キムはいつ死んだのか。私はキムという女性はクリスへの愛によって延命されたのだと感じました。彼女が生きた人間に感じられなかった。身の上話をしている彼女に一番「生」を感じた。
 私にはキムがなぜクリスをそこまで愛したのかが分かりませんでした。キムは最初エンジニアに言われた通りクリスを客として見ていたと思いました。エンジニアに上手くやれと言われ神妙な顔で頷いていましたから。けれど一夜をともにするとキムは本気でクリスを愛しています。
「え、なんで?????」
これが私の本音です。クリスが他のGIと違いまだ多少の「善人」の心を持っていたから?キムが無垢だったから?それとも戦争によってボロボロになったキムは愛に飢えていた?そして少しだけムッとしていしまいました。そのような立場の女性たちの心は私には分かりませんが、これがフィクションである以上「制作側はこのような立場の女性が客として自分を買った最初の男性を愛してしまう」と考えていると思ったからです。蝶々夫人がもとだから仕方ないのかもしれませんが……。うーん、銅にも腑に落ちない。

 そして見ていくうちに「クリスへの愛、クリスからの愛が彼女の生きる理由になっていた」からではないかという結論に至りました。
 愛が生きる理由だなんて表現すると非常にロマンチックですが、言ってみればキムが愛する相手はクリスでなくても良かったのではないかとすら思えます。つまり、戦争で天涯孤独になったキムは愛を求め、自分を愛してくれる可能性のある相手を愛してしまったのではないか。そして「クリスを愛する」ことを生きる目的にしてしまったのではないか。だからタムを愛するしトゥイを拒絶するのではないか。そう思いました。
 というかそう解釈しないと作品全体にオリエンタリズムを感じてしまって正直見ていて辛い。

(余談ですが、結構衝撃的だったのはキムのトゥイに対する拒絶反応でした。もともとトゥイのことが嫌いだった、親に押し付けられた結婚が気に食わなかった。これなら分かります。けれど、「あなたはベトコン!」と言うシーン。
 一瞬キムが何言ってるのか理解出来なかったんです……。これってキムは南ベトナム出身で、トゥイはベトコン。つまりトゥイはベトコンであることを隠したままキムと婚約したということですよね。
「えっベトコンと結婚する方がアメリカ兵に対して売春するより嫌なの?」
と若干驚いてしまった。
 少なくともあの物語においては生きるため仕方なく売春している女性たちという描かれ方をしていたのでそれよりもベトコンとの結婚を拒絶するって私には想像もつかない世界でした。)

 閑話休題。ともかく私にはキムがクリスしか見えていないように思えてならなかったのです。
 抽象的な表現ですが、キムは夢の中に生きているような、それこそ半分ぐらい映画の中に生きているような印象でした。もしかしたら辛い現実の中ではキムは生きていけなかったのかもしれません。だからクリスへの愛、クリスからの愛を少しでも疑い現実を見てしまったキムは夢から醒めなければならなかった=生きることが出来なかったのではないでしょうか。

●顔のないタム
 ではキムは母だったのか。私にはキムは母たりえなかったと思えてなりません。だってタムはあまりに無個性で誰にとっても「タム」という名は記号でしかないように見えました。
 だってタムがあまりにも無表情で言葉もないから。

 キムにとってタムはクリスと自分の愛の証明。
 クリスにとってタムはキムとの愛の思い出と同時に罪の印。
 エレンにとっては戦争の爪痕であり保護の対象。
 エンジニアにとってはアメリカへのパスポート。
 トゥイにとっては憎きアメリカ兵が許嫁に産ませた生き恥

 ではタムとは一体「誰」だったんでしょう?彼が成長したらどんな大人になるのか?
 キムはタムを愛していたのか、私には分かりませんでした。やはりキムはクリスを愛する「女性」であり続け、母親という側面を持つことが出来なかったのではないかと思います。もちろん子を持つ母親が「女性」であり続けることは悪いことではありません。むしろ「女性」であることを捨て「母親」であることを強いられることは間違っているとすら思っていますが……閑話休題。なんだかキムがタムに「命をあげよう」と歌うところもクリスを愛するがゆえにタムを愛するって感じがしちゃうんですよね。キツイ言い方をしてしまえば「もしもタムがクリスの子でないとしたらキムはタムを愛さなかったのではないか」とすら思ってしまったのです。この物語においてそのIFは成り立たないことは重々承知なのですけれど思わずにはいられない。


Ⅱクリスというリアルとフィクション
●クリスは被害者か
 次にクリスについてですが……。クリスってリアルな人間であるけれど、やっぱりフィクションなんですよね。

 一般的に見ればベトナム戦争におけるアメリカ兵って「加害者」であると同時に「被害者」でもあったという認識なのではないかと思います。とは言ってもこれってどの戦争にも言えることなのですが。ベトナム戦争はやはりPTSDが社会的に問題となった、戦争自体の意義が見失われた、という点において殊更その認識が強いように思います。

 けどクリスって「加害者」的側面が描かれてないんです。あくまで彼は「被害者」の一人。じゃあ「加害者」は誰?それは「戦争」です。でもそれっておかしいですよね。確かにクリスは戦争により心に傷を抱えたままアメリカに帰り、そのアメリカで白い目で見られ居場所をなくしてしまった。もう心はボロボロです。ここは見ている私たちが想像しなければならない「余白」なのかもしれませんが、クリスって辛い思いをしたんですけど死にそうな目にあったから?仲間の死を見てしまったから?それとも自分が人を殺したという罪の意識にさいなまれた?分からないんです。想像するしかないんです。
 そしてこの作品に描かれるクリスって「加害者」である面が排除されちゃってるように感じました。クリスも「被害者」であるという面を強調することによって反戦をうたうというのなら、もしかしたらそうなのかもしれませんね。そうなってくるとクリスは「フィクション」でありそのキャラクターはリアルさを排除されたある種の「象徴」になります。

 その反面、クリスはリアルさも持ち合わせている。それは人間の身勝手さと弱さです。例えばなんだかんだでキムを買ってしまうのは「人間的弱さ」でしょうし、同時に「身勝手」でもある。タムの存在に「困ったことになったぞ」みたいな反応しちゃうところも、エレンにキムのこと言えなかったのも「人間的弱さ」からくる「身勝手」です。それが責められるべきことかと問われればそれは酷かもしれません。


●クリスを囲む女性たち
 女性である私はどうしても「被害者」クリスの周りの女性が「都合のいい女性」にしか見えないんです。これがこの作品に描かれる「愛」なのだと言われれば「そうですか」としか言えませんが、「クリスってここまで聖母みたいな女性たちに愛されるほどの人間か?」と思ってしまったのも事実なんです。いや、むしろ聖母みたいな女性だから弱いクリスに救いの手を差し伸べたくなるのでしょうか。この物語の「愛」ってそういう「愛」だったんでしょうか。
 人を愛することに理由なんていらない的な理論ということで理解してますが、この物語がフィクションである以上クリスの周りに配置された登場人物はクリスに都合のいい人間だったという印象はぬぐえません。

 そういう意味でやはりクリスは「フィクション」であると感じます。

 
Ⅲエンジニアというフィクション、トゥイとエレンというリアル
●エンジニア
 エンジニアはとっても生命力溢れるキャラクター。アメリカに憧れているというよりも「自分はもっと幸せになる」という強い欲求で動いているように見えました。
 他のことはどうだっていい、自分自身が幸せを掴むためならば全てを利用してみせるという幸福への執着は見ていて気持ちがいいです。
 エンジニアというキャラクターはいかにもフィクションなキャラクターだけれど、見ていてポジティブな気分になるような魅力を持っていると感じます。


●トゥイ
 彼を誰が責められるのか。アメリカ兵への憎しみ、愛する許嫁を取られてしまった嫉妬は罪ではないはず。
 彼にとってキムは憎きアメリカ兵に騙されてしまった哀れな女性だったのかな、と思います。だからこそキムを迎えに行ったのだし、クリスへの愛をいまだ忘れないキムとその子どもタムには強い強い絶望を覚えたのでは。
 では罪のないタムを殺すことは仕方がないのか。動機は理解できるけれどそれはあまりにも悲劇過ぎる。タムにとっても、キムにとっても、トゥイ自身にとっても。

 最初にキムを迎えに行ったときの嬉しそうな顔が忘れられません。本当にキムのことを心配していたのだろうと思うとその後の険しい顔、憎しみで歪んだ顔が悲しすぎました。

 あと、彼の亡霊はキムの罪悪感がトゥイの形を取ったのかな、と思います。だってキムはトゥイを殺した後に自分のしたことへの理解を拒んでいるように見えたから。

 あの時のキムの叫びに嘆きは感じられず、むしろ何かを拒絶しているようだと感じました。
 では何を拒絶したのか? 自分を守るためにトゥイを殺してしまったという事実を否定してしまったのではないかと思います。けれどその事実からは逃げられず結果としてその罪悪感は彼の亡霊という姿を取ったのでは。
 ……ここまでいくと考察というよりも妄想の域ですかね…(笑)

●エレン
 この作品で一番好きな女性。一人の人間としてキムに同情してあげられるし、悪夢にうなされ知らない女の名を叫ぶ夫を支えることのできる女性って普通に聖母すぎました。
 ただ、彼女だってただ一人の女性であり自身の子どもだってほしい、私こそが正妻なのだという当たり前の感情を持っています。

 おそらくエレンは「良い人」なのです。「善人」になろうと努力できる「良い人」であり、自分の中の最善を見つけようとする人なのではないかと思います。
 たとえその答えが真にキムが求めたものでなかったとしてもエレンが自分を犠牲にせずにできた最善の答えを導き出したのだと感じました。


ちょっと長くなりましたので別記事でストーリー全体について、そしてロンドン公演についての感想を。