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裏庭の鶏

映画と本と、時々舞台

『ミス・サイゴン:25周年記念公演 in ロンドン』 感想②

 前回の続きの感想です。こちらの感想は鑑賞後のもやもやを言葉にしていますので結構マイナス意見あります。ご了承ください。

●「ミス・サイゴン」におけるベトナム戦争って結局なんだったんだろう
 この作品で描かれたもの描きたかったものってなんだったんだろう、この作品におけるベトナム戦争はどんな意味を持っていたんだろう。そう思いました。私はパンフレットを買っていない(そもそも売っていない)のでインタビューなどの情報を知りません。ですから作品からそれを想像するしかない。


 まず、ミス・サイゴンで描かれているベトナム戦争ってとても断片的……というかむしろベトナム戦争について知っていることを前提として作られているように思います。

 だからベトナム戦争を知らなければ「よく分からないけどベトナムで内戦が起きた」「よく分からないけどサイゴンホーチミンになってアメリカ兵と親しいベトナム人は虐げられた」「よく分からないけどブイドイと呼ばれたかわいそうな子どもたちが存在した」ということしか分からない。
 でももしかしたら当時のベトナムの人々だってなぜベトナム戦争が起きてしまったなんて理解できないまま戦争に巻き込まれてしまったのかも、なんて思いました。

 ただ、ベトナム戦争を描いているって評判をよく耳にしていたのであまりに雑でちょっと物足りなかったかも。ミュージカルにしては、という前提を忘れていました。
 それからホーチミン政権下におかれたベトナムでの、あのマスゲームのような統率のとれたダンスはライトやら衣装やら含めて悪役な扱いでしたね。巨大なホーチミン像も気になりました。

 キムという女性、そしてエンジニアのようなアメリカ兵相手に商売をしていた人間にとってはホーチミン政権は「悪」だったんでしょうか……? 
 アメリカ兵を「戦争被害者」であると描くけれどその後のホーチミン政権については人間味のない衣装にマスゲームダンスと社会主義を意識しているのか個人崇拝的なホーチミン像を登場させる。
 おまけにアメリカに帰ったジョンは何かに目覚めたのかブイドイを救うべきだと歌い上げる。ここのシーンはミス・サイゴンの中で1位2位を争う胡散臭いシーンでした。タムの境遇を説明するためには必要なシーンなのでしょうが唐突にお説教な歌が始まり実際の子どもたちの写真が登場し……。感動の押し売りって感じがしてもやもや。
 なんだか制作陣の国籍とかも含めて穿った見方しちゃうんですよね。

 個人的には「ベトナム戦争を生々しく描く」という評価をよく目にしていたものですからちょっと拍子抜け。ベトナム戦争を生々しく描くというかエンターテイメントとしての「ちょいグロ」要素といった雰囲気でしたね。



●アジア人「蔑視」だとか女性「蔑視」だとかって結局
 あとこの作品って「アジア人蔑視」とか「女性蔑視」とかって批判されることもあるようです。ウィキペディア情報なので信憑性についてはさておき(笑)私もそれっぽい雰囲気を感じました。

 けれどこの作品ってきっと「蔑視」ではないんだろうなと感じます。単純なエンターテイメントとして描いた結果なのではないでしょうか。昨今の作品ではコメディ以外ではめったにお目にかかれないステレオタイプ、それもスニックジョークに通じるようなステレオタイプであるから余計にそう思います。だって戦争ものでエスニックジョーク的ステレオタイプな登場人物ってそうそうお目にかかれませんよね。
 
 それを無意識下での蔑視というならば、もしかしたら蔑視といえるのかも。

 ただ一人の女性として正直な感想を言うならば、いくら状況が地獄のようだからといっても初めての相手に恋してしまうという描き方はコメディ以外では気にさわります。こんなシリアスでヘヴィな作品ならば尚更です。
 そして状況のせいにするにしたってキムの処女性が強調されているのもなんだかなあという印象。これがジジのような女性とGIの純愛だったらまた違ったんでしょうけどね。



●戦争とエンタメ
 この上映において唯一、嫌悪感すら抱いたのはロンドン公演の観客の歓声でした。

 確かに素晴らしいパフォーマンスです。私も生で舞台を見たら感動していたに違いありません。しかし歓声を聞いた時に感じたのは不快感でした。
 それは何故か。おそらくそれはロンドン公演の観客が純粋なエンタメとして楽しんでいるとことへの違和感です。

 くりかえしになりますが、パフォーマンスは本当に素晴らしかった。けれどそのパフォーマンスはただの「パフォーマンス」ではなく別の側面、つまり「戦争を描く」という面も持っています。勿論受け取り方は様々かと思いますが少なくとも私にとってはそういう面が「ミス・サイゴン」にはあるのだと思いました。でなければどうして実際のベトナム戦争の写真を使えるのでしょう。私はあの写真の数々を演出に使用したのはそこに何らかの「意図」があるからだと思ったのです。そうであるからこそ、パフォーマンスだけに拍手をおくれない。純粋なエンタメとして見ることができなかった。

 つまりは私とロンドン公演の観客に絶対的な温度差があったのです。おそらくロンドン公演の観客はミス・サイゴンのファンなのでしょうから温度差があったことは当然です。そう思っていてもやはり私は「この人たにはベトナム戦争を消費している」と感じざるを得なかった。そしてカーテンコールの華やかさも違和感。ずどーんと暗いどんよりとした気分のままだったら「そういうベトナムで起きた一連の歴史の理不尽さ」だとか「人間って結局弱くてずるくて、それによって身を滅ぼしちゃうよね」だとかそういうものを作品から受け取ったのでしょうがカーテンコールによって「結局のところエンターテイメント」という結論に至っちゃうんです。
 もちろん素晴らしいパフォーマンスであったり心に刻み込むような素晴らしい作品には私だって心からの拍手をしたい。けれどそれは素晴らしいエンターテイメントへの称賛にはなりえない。

 私はベトナム戦争について特別な関心を寄せていたわけではないし、近代史としての最低限の知識しか持っていません。けれどエンタメとしてベトナム戦争を消費できない。だから作品にメッセージ、あるいは風刺でもなんでもいい。何かを感じたかった。しかし私はミス・サイゴンにその何かを感じることが出来ませんでした。ベトナム戦争でなければならない理由が分からなかったのです。
 そしてこの作品はきっと本来的にはベトナム戦争である絶対的な理由らなく、物語の背景にベトナム戦争が選ばれたのだと思います。だからといって私はただのエンタメとして楽しむことも出来なかった。

 私はまだミス・サイゴンという作品を消化できずにいます。もしかしたら別の俳優さんの、別の演技を見たらまた解釈は変わるのかもしれません。もう少し年月をおいてからまた見たらまた感じ方も変わるかもしれません。少なくとも今の私にはこの作品はあまりにも「合わなさ過ぎ」ました。

 戦争映画でもあまりに辛くて「見てよかったけどもう二度と見たくない…」と思ってしまう作品はあります。けれどこの作品は描かれていること辛いからではなく描かれ方や受け止め方に疑問を覚えてしまうという私の中で異色の戦争物になってしまいました。